かつて足尾にあった町の記憶

1973年、足尾銅山はその長い歴史に幕を閉じた。
 
かつて足尾の町は「足尾千軒」と言われたほどに発展し、最盛期には38000人以上の人々が住み、生活していた。
日光から山ひとつ先のそこは、備前楯山を中心に鉱山社宅・学校・病院・劇場・寺・神社・商店等が立ち並び、
栃木県内では宇都宮に次ぐ賑わいを見せる町であった。
 
しかし銅山の閉山とともに多くの人々がこの地をあとにする。
 
近代産業の光と影と運命をともにしたこの町は、多くの地区が無人化し、廃墟化してしまっている。
昔日の痕跡を残しながら・・・。
 
人々の生活と切り離されて久しい今も、それらが足尾の山に『痕跡』としてひっそりと残り続けていることを知った私は
そこに暮らしていた人々、そこにあったはずの生活、その幻影、残り香を追うようにカメラを持って彷徨する。
 
苔むす階段の跡。
もう詣でる人もいない神社。
雑草に覆われた、グランド跡。
雨ざらしになった浴場。
無人の往来。
 
かつて山を切り開き、人によって形作られたまちは、いまは自然に侵蝕されている。
というよりも山に還ろうとしている。
あたりまえのはずだった日常の生活、営み。
それが何かのきっかけで均衡が失われたとき、『日常』は無くなってしまう。
人々は移り、新たな日常を歩きだす。
だが役目を終え、残された町は歩みをとめる。
 
未来の無くなった『まち』の光景は、
私たちに『日常』というものの儚さを示唆しているかのようだ。
 
 
かつて日本一の鉱都がそこに在ったという事実と、時差をもって横たわる現実の光景。
その場所の過去を知って見ると
何も無いかのようなただの自然の風景ですら目に見える以上の何かを語りかけてくる。
 
しかし、人影の消えた町は人間の憧憬をよそに、静かにただ『光景』としてそこにある。
 

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